読本挿絵の第一人者

 文化二年(1805)、北斎は「葛飾北斎」の画名を用いるようになり、この頃から「読本」(文章主体の長編小説)の挿絵に精力を傾けるようになります。曲亭馬琴や柳亭種彦ら当代一流の戯作者と提携した読本挿絵を毎年描いており、中でも馬琴と組んだ『新編水滸画伝』[51]、『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』[52]などは、北斎生涯の代表作に挙げられています。
 魅力的なキャラクター設定、力強くも緻密な描写、明暗や効果線を活かした劇的な構図など、北斎は様々な創意工夫を凝らし、読本挿絵の芸術性を一躍高めました。当時の記録にも、北斎の挿絵によって絵入り読本が大流行した、と記されたほどです。北斎はこの分野の第一人者となり、生涯で200冊近くの読本に、膨大な数の挿絵を寄せています。
 またこの時期には、他の分野でも万遍なく作例があり、錦絵では「東海道五十三次」を題材とした数種の揃物を手がけた他、名所絵、戯画、おもちゃ絵など幅広く描き、摺物では、宗理期に引き続いて優美で洗練された作品をのこしています。肉筆画については、最晩年期に次いで多彩、多作で、《隅田川両岸景色図巻》(すみだ北斎美術館蔵)や《潮干狩図》(大阪市立美術館蔵)のような名品が描かれました。

読み方:読本=よみほん/曲亭馬琴=きょくていばきん/柳亭種彦=りゅうていたねひこ/戯作者=げさくしゃ/新編水滸画伝=しんぺんすいこがでん/鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月=ちんぜいはちろうためともがいでん ちんせつゆみはりづき

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Hokusai’s early years

ようしょうねん〈1歳~19歳頃〉-浮世絵師以前-

ようしょうねん
〈1歳~19歳頃〉
-浮世絵師以前-

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