豪華摺物と錦絵の時代

 北斎は文政三年(1820)から天保四年(1833)までの13年にわたって「為一」号を用いました。この前期では、戴斗期に引きつづき絵手本が多く、摺物の分野では、《元禄歌仙貝合》[94](全36図)と《馬尽》[95](全30図)という2つの豪華摺物を描きました。北斎の機知に富んだ発想力と精緻な描写力が発揮された、北斎を代表する摺物の作例です。
 そして後期に当たる天保初年頃からの約4年間に、北斎は錦絵の制作に没頭します。中でも北斎の全画業を代表する《冨嶽三十六景》は、様々な場所、視点、季節によって千変万化する富士の姿を、全46図にわたって描き分けた大作です。従来の名所絵で重視された「名所性」に縛られない、自由な場面設定が散見されるなど、浮世絵における風景表現の可能性を広げた、記念碑的な揃物となりました。
 他にも花鳥画、武者絵、名所絵、化物絵、おもちゃ絵など、北斎画として広く知られる錦絵の作品が、この北斎70歳代前半に立て続けに発表されており、北斎の生涯を通じて「錦絵の時代」と呼ぶにふさわしい作画活動が展開されました。
 為一期の前期では摺物、後期では錦絵に傾注したためか、この時期の肉筆画は寡作であり、版本については前期に絵手本を多く発表し、後期に数種の美麗な狂歌本の挿絵を描いています。

読み方:為一=いいつ/元禄歌仙貝合=げんろくかせんかいあわせ/馬尽=うまづくし/冨嶽三十六景=ふがくさんじゅうろっけい/揃物=そろいもの

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Hokusai’s early years

ようしょうねん〈1歳~19歳頃〉-浮世絵師以前-

ようしょうねん
〈1歳~19歳頃〉
-浮世絵師以前-

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