摺物・狂歌本の世界へ

 寛政六年(1794)頃、勝川派を去った北斎は、経緯は不明ですが、琳派の流れを汲む「俵屋宗理」の名を継ぎます。北斎はこの襲名を機に、富裕な趣味人による豪華な摺物や狂歌本の挿絵、さらに肉筆画など、春朗期ではあまり手がけなかった新たな分野に挑戦するようになります。画風も一変し、「宗理風」とよばれる楚々とした優美な女性像に象徴される、温雅で叙情性漂う表現で世評を得たらしく、数多くの優れた狂歌摺物、狂歌本の挿絵、肉筆美人画を描きました。
 寛政十年(1798)、北斎は宗理号を門人に譲って「北斎辰政」と改号し、以降、どの画派にも属さない独立した絵師として再出発します。ただ宗理襲名後に確立した画風は、この独立以降も文化二年(1805)頃まで一貫することから、この約10年間は「宗理期」または「宗理様式の時代」と呼ばれています。
 なお錦絵の制作は宗理派在籍時に途絶えていましたが、享和期(1801~04)頃から再び描かれるようになります。中でも西洋の透視遠近法に学んだ洋風風景画を多く手がけており、《冨嶽三十六景》など後年の風景版画に繋がる要素が見受けられます。

読み方:宗理=そうり/摺物=すりもの/俵屋=たわらや/辰政=ときまさ/冨嶽三十六景=ふがくさんじゅうろっけい

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Hokusai’s early years

ようしょうねん〈1歳~19歳頃〉-浮世絵師以前-

ようしょうねん
〈1歳~19歳頃〉
-浮世絵師以前-

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