島根県津和野町出身の浮世絵研究家、美術史家、美術評論家。小学3年生の頃に北斎の絵手本『画本早引』に魅せられ、10代半ばから北斎の作品を本格的に蒐集するようになります。北斎研究を志し、浮世絵研究者・楢崎宗重氏(1904-2001)を慕って立正大学へ進学。在学中の1972年から北斎専門研究誌『北斎研究』の発行、編集、執筆等に携わりました。1977年より浮世絵専門の太田記念美術館に勤務し、副館長兼学芸部長を務め(2008年退任)、その間の1990年、津和野町に自身のコレクションを中心とした葛飾北斎美術館を開館しました(2015年閉館)。北斎に関する数多くの論文・主著・編著を執筆し、国内外で多くの北斎展の監修を務めました(例:東武美術館ほか「大北斎展」[1993年]、グラン・パレ・ナショナル・ギャラリー「Hokusai(1760-1849)」2014-15年]など)。2016年、フランスの芸術文化勲章オフィシエを受章。2017年、所蔵するコレクション2,398件を島根県へ寄贈しました。2018年2月6日逝去(享年66歳)。
北斎の青年期から晩年期までの各期の錦絵・摺物・版本・肉筆画があり、また役者絵・美人画・武者絵・花鳥画・風景画・仏画・玩具絵など、北斎が手がけたあらゆる画題の作品が収められています。そのコレクション中には保存状態が良い初摺の逸品が多くあり、北斎を代表する絵手本『北斎漫画』(初編)や『富嶽百景』の初摺本をはじめ、北斎の画業を代表する《冨嶽三十六景 凱風快晴》も初期の繊細な摺りのものです。そして世界で1点または数点しかない貴重な作品・資料も少なくありません。例えば、《鍾馗図》は北斎画業初期の肉筆画で、「春朗」の落款を有する肉筆画としては現存唯一です。また北斎が亡くなった朝、娘の栄(葛飾応為)が門人に宛てた死亡通知書は、北斎の死の詳細を伝える現存唯一の貴重な資料として知られています。こうした北斎の作品・資料に加え、蹄斎北馬、魚屋北溪ら門人の作品も幅広く網羅したコレクションの総数は2,398件に上ります。北斎の画家人生はもちろん、同時代や後世に与えた影響関係まで多角的に概観できる内容であり、北斎に特化した個人コレクションとしては世界屈指の規模を誇るといえるでしょう。
なお、本コレクションは永田氏の遺志により、島根県立美術館と島根県立石見美術館(益田市)でのみ公開が許可されています。