多彩・多作な習作期

 北斎は安永七年(1778)、19歳で役者似顔絵の第一人者・勝川春章に入門したとされ、その翌年には「勝川春朗」の名で浮世絵界にデビューしました。この「春朗」を名のった20歳から35歳までの約15年間は、北斎の70年に及ぶ全画業の中で習作期と位置づけられ、勝川派以外の様々な画派の表現も貪欲に吸収し、画技の研鑽に努めた時期です。
 錦絵では勝川派らしい役者絵を中心に、美人画、子供絵、武者絵、浮絵、宗教画、おもちゃ絵など多種多様な画題を手がけ、版本では、黄表紙(大人向けの絵入り小説)を中心に洒落本、芝居絵本などの挿絵を精力的に描きました。
 一方、摺物の作品を春朗期の後半から少しずつ描くようになり、それらの中に、次期「宗理期」にも通じる叙情的要素が見出されます。また肉筆画の現存遺品は極めて少なく、完成品である本画としては、当館所蔵の《婦女風俗図》[19]と《鍾馗図》[20]の2点が知られる程度です。いずれも春朗期末頃の作で、[19]は数ある肉筆美人画の最初期の作例として、[20]は「春朗」の署名が書かれた唯一の肉筆画として、貴重な作品です。
 師春章没後の寛政六年(1794)頃、春朗は勝川派を離れたと思われます。
読み方:勝川春章=かつかわしゅんしょう/浮絵=うきえ/黄表紙=きびょうし/鍾馗図=しょうきず

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Hokusai’s early years

ようしょうねん〈1歳~19歳頃〉-浮世絵師以前-

ようしょうねん
〈1歳~19歳頃〉
-浮世絵師以前-

期 Shunro period

しゅんろう

〈20歳~35歳頃〉

-多彩・多作な習作期-

期 Sori period

そう

〈35歳~45歳頃〉

-摺物・狂歌本の世界へ-

期 Katsushika Hokusai period

かつしかほくさい

〈46歳~51歳頃〉

-読本挿絵の第一人者-

期 Taito period

たい

〈51歳~60歳頃〉

-絵手本への傾注-

期 Iitsu period

いつ

〈61歳~74歳頃〉

-豪華摺物と錦絵の時代-

画狂老人卍期 期 Gakyou Rojin Manji period

きょうろうじんまんじ

〈75歳~90歳頃〉

-新たな画境へ挑む-

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