松江市伊勢宮町で遊郭を営む新庄儀一郎の次男として生まれました。島根県立商業学校(現・島根県立松江商業高校)、明治大学商科専門部を卒業。大阪で電気照明器具の仕事に就き、戦後、電気スタンドの専門会社(日新電化社)を設立しました。1950年頃に小林清親の版画を購入して以降、浮世絵蒐集にめざめ、松江の著名な浮世絵蒐集家・桑原羊次郎旧蔵の歌川広重《東海道五拾三次之内》や肉筆浮世絵の入手を機に、そのコレクションは広く知られるようになります。1970年代には、「新庄コレクション」と銘打った浮世絵展が全国各地の美術館・博物館・百貨店(例:山口県立山口博物館[1976年]、神戸南蛮美術館[1977年])で開催されました。1983年、病を機にコレクションを島根県へ一括譲渡。その後も蒐集活動を続け、1990年に74点の浮世絵を島根県へ寄贈しました。1976年より日本浮世絵協会(現・国際浮世絵学会)の理事を務め、浮世絵の普及活動への功績から、1995年、第14回内山晋米寿記念浮世絵奨励賞を受賞。1996年12月2日逝去(享年95歳)。
葛飾北斎の《冨嶽三十六景》、歌川広重の《東海道五拾三次之内》全55図、歌川豊春の浮絵、小林清親の東京名所絵などの風景版画が主で、ほかに鈴木春信・喜多川歌麿らの美人画、歌川広重の花鳥画、寛文美人図や菱川師宣らの肉筆浮世絵、異国風俗を描いた長崎版画など多岐にわたります。1983年、島根県が同コレクション378件を購入。これに複数回の寄贈作品を加えると、その総数は471件に上ります。新庄は蒐集にあたって数よりも質や内容を重視し、摺りや保存状態が良好な作品が多く含まれています。例えば、葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》は新庄自身が「コレクション中の白眉」と評した作品で、大阪万国博覧会の「万国博美術展」(1970年)に浮世絵の代表として展示されました。ほかに歌川広重《東海道五拾三次之内 池鯉鮒》なども初摺の逸品として知られています。また、懐月堂安度の稀少な武者絵《武田信玄図》[第二回浮世絵世界大会[1972年]出品作]のような稀品・珍品に属す作品も少なくありません。