絵手本への傾注

 文化七年(1810)から「戴斗」を号すようになった北斎は、次第に読本挿絵から離れ、「絵手本」の制作に傾注するようになります。絵手本とは絵を学ぶ際の手本となる版本で、北斎は戴斗期以降、終生この分野に取り組み、数多くの絵手本を発表しました。その内容も、具体的な描法を示す教本、多くの絵をまとめた画集、工芸職人のための図案集、絵画技法の解説書など、多岐にわたります。
 北斎が絵手本を手がけた背景には、門人の増加に加え、私淑者の全国的な拡がりがあったと考えられます。実際、名古屋や関西の版元からも多くの北斎絵手本が出版されており、北斎画風を慕う者が広域にわたっていたことを示しています。
 数ある北斎絵手本を代表するのが、文化十一年(1814)から刊行が始まった『北斎漫画』[69]です。全十五編(戴斗期中に十編まで刊行)にわたって、様々な人物、動植物、建物、日用品、風景、気象など森羅万象を描き尽くし、その総図数は約3,900とされる壮大な画集です。欧米でも早くから知られ、西洋の画家たちに影響を与えました。
 こうした絵手本への傾注の反面、他の分野は比較的寡作とされますが、特色ある作品をのこしています。錦絵では、高い視点から東海道や江戸湾を一望する鳥瞰図[61][62]があり、肉筆画では、細やかな陰影で立体感を表す西洋画法の影響をうかがわせる作品[77]が知られています。

読み方:戴斗=たいと/絵手本=えでほん/私淑=ししゅく/鳥瞰図=ちょうかんず

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Hokusai’s early years

ようしょうねん〈1歳~19歳頃〉-浮世絵師以前-

ようしょうねん
〈1歳~19歳頃〉
-浮世絵師以前-

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