葛飾北斎・画
かつしかほくさい
『富嶽百景』
ふがくひゃっけい
(初編)天保五年(1834)、(二編)天保六年(1835)、(三編)刊行年不詳、
半紙本、三冊、[永田コレクション]
Katsushika Hokusai (artist)
One hundred views of Mt.Fuji (Fugaku hyakkei) vol.1,2,3
[Nagata Seiji collection]
『富嶽百景』全三編は、「冨嶽三十六景」につづく富士図の集大成として発表されたもので、全102図が収められています。彫師に名工江川留吉を指定し、薄墨の効果を活かした摺にこだわるなど、細部まで吟味して制作されており、北斎絵本中の最高傑作と謳われています。75歳の北斎が自身の画家人生を述懐し、新たな画境を目指す決意を記した初編跋文(下記)が有名です。
「己六才より物の形状を写の癖ありて
(自分は6才から物の形を写す癖があり)
半百の此より数々画図を顕すといへども
(50才の頃より数々の画図を発表したが)
七十年前描く所は実に取るに足ものなし
(70才以前に描いたものは、実に取るに足らないものであった)
七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
(73才で鳥獣虫魚の骨格や草木の出生を悟り得た)
故に八十歳にしてハ益ゝ進み九十歳にて猶其奥意を極め
(故に80才にしてますます進み、90才にてその奥意を極め)
一百歳にして正に神妙ならん歟
(100才にしてまさに神妙の域に達しているのではなかろうか)
百有十歳にしてハ一点一格にして生るがごとくならん
(100数十才にしては、筆の一点一格が生きているがごとくなるであろう)
願くハ長寿の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし」
(願わくば長寿の神よ、私の言葉が妄言ではないことを見ていてください)